ラトルとベルリン・フィルによるモーツァルト後期三大交響曲がまさかの発売

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え?これ発売すんの?ちょっと驚きの録音が発売されることに。しかもCDじゃなくて「ダウンロード販売のみ」。

クラシック音楽の未来をリードするラトルとベルリン・フィルのコンビ

サイモン・ラトルとベルリン・フィルの時代は、まさにクラシック音楽の未来をリードする、と言っても過言ではないと思っています。
まぁ確かに「ラトルはベルリンに行ってすっかり丸くなってしまった」とか「ドイツオケとは思えないくらい軽い」とかいう話も聞くんですが、私はこのコンビは好きでしたよ。

物心付いたときにはカラヤンのオーケストラだったベルリン・フィル。カラヤン亡き後でクラウディオ・アバドが後任になった時には「オケの民主化が進んだ」とかいう話も出ましたね。ただ「統率力のないアバドのせいでベルリン・フィルはガタガタになった」とかいう話も耳にはしました。 まぁこれはオケがちょうど奏者の世代交代時期だったというのもあるので、誰が後任になってもツラい時期だったとは思うのですが(結果的にアバドで良かったと私は思っていますよ。まあアバドの指揮する演奏が好きだから、っつー贔屓目もあるのですが)。

その時期からサイモン・ラトルはすでに名前が出ていたほどで、若いアグレッシブな才能ある指揮者を迎えて、新しい時代を!という声は外野からも内野からもあった、という話でした。

満を持してラトルがベルリン・フィルのシェフになった時、ジルヴェスターコンサートで客席まじえて踊りまくってる姿には驚いたもんです。これは新時代の幕開け!?的な。

とはいえ、新しい録音が頻繁に出るわけではなかった上、出て来る録音は当時のEMIが良くなかった(というよりある程度の高級機で大きめの音で鳴らしたりしないとキツかった、というのを某マニアな人からは聞いてる)というのもあって、評価があんまりちゃんとされなかったんですよね。就任記念のマーラー5番(これは映像の方がずっと素晴らしい!)、ブラームスの交響曲全集、幻想交響曲などなど。ジルヴェスターでやったカルミナ・ブラーナも期待したほどではなくて。

でも私の中での評価は、ずっと高かったです。CDというよりも、ライブでの彼の演奏がとてもとてもおもしろかったから。テレビでかろうじて流してくれるヴァルトビューネやジルヴェスターなんかの姿をみたり、来日公演での英雄の生涯(なぜか民法で年始の朝早く放送された)とかをみて、やっぱラトルすげー!って思っておりましたですよハイ。

そこにきて「デジタル・コンサートホール」の登場です。これが素晴らしかった。だって、日本に居ながらベルリン・フィルの演奏会(それもほとんどすべての定期公演)が見れるんですもん!しかもArchiveで過去の演奏も見れる!!!!ここでラトルによるマーラーやシベリウスを本当に楽しく見ることができました。

こうした取り組みは、オーケストラと指揮者が未来を見据えていないと出来ないわけで、それをちゃんと実現して、しかも長く運営できているという点において、最高のコンビなんじゃないか、と思うわけです。
(プレッシャーはすごかったんだろうなぁ、とは思いますよ・・・ラトルずいぶん太ったし、常にベストを求められるという意味でも悪評にはさらされるわけですからねぇ・・・) 


モーツァルト 交響曲第39,40,41番

 

Mozart: Symphonies Nos. 39, 40 & 41
カテゴリ: クラシック

 

この演奏、2013年のベルリン・フィルシーズンオープニングコンサートによるものなんですよ。というか、デジタル・コンサートホールで無料で見ることができます。

デジタル・コンサートホール
カテゴリ: ミュージック, エンターテインメント

 

 

 

三大交響曲も世の中には沢山の演奏がありますし、モーツァルトはここ20年くらいで古楽器による演奏(あるいは現代楽器でそうした演奏スタイルを取り入れたもの、いわゆるピリオドアプローチ)が主流となっています。
そうしたなかで、この演奏がわざわざ発売される意味とは一体なんだろうか、と考えながら聴いてみました。いや、映像付きでしか見たことなかったんですけどね。音だけ、というのはまた違った印象がでるので。

この演奏が目指したものは、音だけで聴いたからこそ伝わってきた気がします。これはまさに「現代楽器を使ってモーツァルトを演奏することの一つの答え」なんですね、きっと。そしてそのことは、既に沢山の演奏家がいろんなアプローチをしてきた、まさに「クラシカル(古典的)」なこの楽曲に、まだまだ取り上げる意味と意義があることを如実に表している、そんな気がしました。

39番の3楽章。この当時のメヌエットへのアプローチって、Trioに入る時は少しテンポを落とすんですよ。ただこの曲はTrio終わりから冒頭に戻る時に曲が終わらずにつながっているんですね。なので、テンポによる変化というよりも、音色なんかで違いをつけるのが一般的という印象(すみません、あまり数多く聴いてないんで私の意見が偏ってるかもしれないのですが)。
それを、このコンビは大胆に「冒頭に戻るときにテンポを巻く」という技でクリアして見せます。これが全然いやらしくないんですよ。ともすれば押し付けがましくなってしまい、その時点でモーツァルトの軽さがベートーヴェンのような重さに感じられてしまう危険性もあるのに。軽さを持ちつつリズムを際立たせることでスッキリと違和感なく持って行きます。逆に「モダン(現代)楽器だからできるのよ、コレ」って言ってるようでもあります。強弱、音色の差、リズムの変化などなど、現代楽器の表現力を広げるためのピリオドアプローチで、それを前面に出さずに「ピリオドアプローチ知ってるからできるアグレッシブさ」で解決してみせるの、面白いなぁ、と。

あぁ、だからこれ発売したんだな、そう思いましたね。

全体的には立派なアプローチですけれど、この演奏がこの曲のベストなのか、と言われると難しいのですが、可能性を見せてくれつつ、繰り返しの視聴に耐えるという意味でも、これはベターな録音であることは確かだと思います。聴き込めばベストになるかも?そうしたポテンシャルは普通にありそうです。 モーツァルトあんまり好きじゃないんだよなー、という人にも、これは楽しく聴けるんじゃないかな、と思います。

 

これまでとこれから

これまでラトルとベルリン・フィルは様々なツィクルスを録音、販売してきました。ただしそれらはレコード会社を通すというよりも、「自主制作」にシフトしていまして。新しいシェフを迎えるにあたり、きっとラトルは何か新しいツィクルスとかやるんじゃないかなぁ、とか思ってたんですけどね。いややるかもしれないけれど。

で、この録音が面白いのは「販売形態」です。
なんと「ファイル形式」での販売なんですよ、これ。CDとかで出すのかと思ったら全然そんなことなくて。
最近のベルリン・フィルを見ていると、音楽を届ける、という行為に本当にアグレッシブなんだなぁ、と思いますね。デジタル・コンサートホールだけでも正直いってかなり冒険だと思うのです。だって、ほとんどの演奏会をLiveとArchiveで見れるようにしてるわけでしょ?そこには指揮者やソリストの権利問題とかも絡むわけじゃないですか。そういったものを楽団自身でクリアしながら、こうした形で世界各地の人に送り届けるわけですからね。ただただ驚く他はないです。

そんな中で、ブラームス交響曲全集を「ダイレクトカット」というやり方でまさかのレコード発売するっていうのもよくわからんのですが(笑)。

 

ラトルはもうすぐベルリン・フィルを去ります(ただ客演とかでは普通にやってきそうですね)が、そのあとはロンドン交響楽団のシェフになります。思えばベルリン・フィルのシェフをつとめた人が、辞めたあとで他のオケのシェフになるという例はほとんどありません(チェリビダッ(ry。
そうした意味でも、ラトルは「ベルリン・フィルのシェフが特別ではない」ことを示す事ができるチャンスだと思っているだろうし、ベルリン・フィルにとっては新たなシェフになるキリル・ペトレンコと新しい未来を形づくるわけで、またクラシック音楽事情は面白くなってきたなぁ、と思います。 

ただそれでも、世界全体でクラシック音楽そのものへの関心が薄れているのも事実です。そうしたなかで世界トップクラスのオーケストラであるベルリン・フィルは、リスクを負ってでも新しい世界を開拓しようとする姿は、王者というよりも挑戦者のようであります。これからも聴き続けたいな、と改めて思わされる今日このごろでございます。

 

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