おっと、気付いたらもう9月1日になっていました。
実は9月1日は個人的には意味のある日。
まず亡き父の命日。
そして、転職して上京してきた日。
父は昭和52年9月1日にくも膜下出血で急死しました。
35歳。
まだ私が2歳半の時。
やっぱり38年生きてきて、物心ついた時からこの日を迎える度にこの事を忘れた事はありません。
この話はいろんなところで話をしてきたのでここでは割愛。
で、上京ですよ、上京。
前職やめて、転職を機に単身上京。
気付いたらもう2年経ってました。
今日から3年目突入。
早いなぁ。あっという間だ。
息子も当時は幼稚園の年長組だったのに、いまや小学校2年生ですからねぇ。
2年も一人で、大変でしょう、と言われる事が多いんですが、なによりも一番大変なのはやっぱり妻。
妻は本当に大変だったろうなぁ、と思っています。
もちろんこれは進行形の話なので、大変な日々を送っていることでしょう。
一ヶ月に1〜2回は盛岡に帰りますが、なるだけとれるときは平日に休みをとって、妻と二人だけの時間を作って、できるだけ妻の話を聞いてあげるようにしています。
そうじゃないと妻の方から弱音ははかないので。
といって、すごく弱音をはくわけじゃないんですが、弱音をはいてもいいんだからね、という空気を作って上げるという事が、いいんじゃないかなぁと思っています。
いやこれは私がそう思っているだけなんですけどね。
むしろ妻こそ、この二人の時間で私の方にツライことがあるんじゃないか、とかいう気遣いを見せてくれます。
ありがたい事です。
ちなみに直接あった時だけじゃなく、電話で話をしてる時も、妻はこうなんです。
ありがたいなぁ本当に。
お互いがお互いの事を心配しあえている、というので、とりあえず離れていてももう少し頑張れるかな、と今のところは思っています。
一緒に住むのが様々な理由で難しい(一緒に住むとなれば俺が盛岡に帰るという選択肢しか今のところはないんです)ので、当面はこうした関係が続いてしまうわけで。
ある意味では夫婦というか、家族の危機というような状況ではあります。
そしてそれはこれからも続いていきます。2年、とかいう風に期間が区切られているものではないし。
もしかしたら私が仕事を辞めるまでこういう関係がずっと続くのかもしれないし、いろんな事が重なって明日には盛岡に帰る事態になるかもしれないし。
それでもお互いがこうしてお互いの事を気遣えるうちは、まだこの状態でお互い頑張ろうね、という話をついさっき電話でしたばかりでした。
さて、引き続き3年目に突入した東京生活。
身体の事を気にしながらも、家族の距離感がこれ以上広がらないように注意しつつ、頑張って参ります。
うちの奥さん、どうぞ今後ともよろしくお願いします。
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