ご無沙汰しちゃってる今日この頃。皆様いかがおすごしでしょうか。
私は、10月13日にベトプロの本番も終わり、しかもそのあと入院までして(退院しました)、なんだかあっという間の10月でした。
という10月でしたが、なんといってもこの話題は外せないですね・・・。
ショパン・コンクール2025──「技巧」より「説得力」が勝った夜に
5年に一度のショパン・コンクールが終わりました。
優勝はアメリカのエリック・ルー。2位はケヴィン・チェン、そして4位には日本の桑原志織さんが入賞しました。
SNSでは“ルーの静けさ”と“桑原の情熱”の対比が話題になっているようで。
今回の審査を見ていると、求められたのは「うまさ」より「納得できる音」だったように思います。
まぁ実際、このコンクールは技巧派がどうの、というコンクールではないわけで、より良いショパニスト探すコンクール、なんですよね。
技巧の次は「語り」の時代に
エリック・ルーの演奏は、派手さよりも構築力。
音の間(ま)を大事にしながら、フレーズ全体の呼吸を丁寧に紡いでいました。
ミスタッチすらも音楽の一部として取り込む姿勢。
あれこそ、テクニックを超えた「語り」だと思うわけです。そのスタイルは10年前に4位だった頃と大きく変わっておらず、むしろ「洗練された」と言って良いと思います。
コメントにも「成熟」「説得力」といった言葉が並び、技巧よりも“音楽の物語を語れるか”が評価された印象でした。
桑原志織の「感情線」
4位入賞ながら、桑原志織さんの演奏動画はYouTubeでトップクラスの再生数を誇っているようです。まぁ日本人がこのコンクールを好きで、動画再生数をかなり稼いでいるという点も考慮しないといけないですが、それ以上に海外の批評家などからも桑原さんの演奏は評価されているようで。
彼女の音には、技術では説明しきれない「伝わってしまう力」があるように思えます。
それはSNS時代の共感軸、つまり「人間らしさ」を体現していたのかもしれません。
海外メディアでも「最も心を動かすショパン」と評されたのも印象的です。
国際コンクールが映す“聴き手の変化”
過去のショパン・コンクールが“技巧競争”だった時代(まぁそれもだいぶ昔の印象です)に比べ、今回は「静寂」「抑制」「構築美」といった言葉が多く見られた気がします。
それはつまり、「誰がいちばんショパンを理解しているか」という原点回帰の審査だったとも言えます。前回大会の時にもこれは言われていましたが、今回は特にその側面が大きかったように思えます。
もしかすると、今の時代に求められているのは「速さ」ではなく「深さ」なのかもしれない、とまとめてしまいたいところですが、それはやっぱり各奏者の技術レベルが、ある意味で「行き着くところに来てしまった」感もあるのです。
そもそも他のコンクールにしても、難曲揃いにも関わらず、ミスそのものが話題になるようなコンクールはかなり減りました(国内のコンクールを除く)。
ただ、大きい国際コンクールでは、ミスの有無よりも、ミスを恐れずに独自の世界観をどれだけ表現できるのか、そしてそれが説得力を持っているのか、といったあたりの審査になりつつあります。
誤解を恐れずに言えば、このあたりはまだ日本人(アジア人)は弱い観点かもしれません。技術大会であり、表現そのものですら自発的ではなく「作られた」ものになってしまう(そのための訓練を「練習」と呼んでしまう)という点は、芸術という観点からどんどん離れていってしまう、まさに「競技会」になってしまっている気がしています。
あ、少し話が変わってしまいましたね・・・。
おわりに
クラシック音楽は、もはや「若さ」や「勢い」だけで測れない領域になったな、と思いました。。
エリック・ルーの静けさも、桑原志織の情熱も、それぞれが“自分の物語”を語っており、そこにあるのは1人の芸術家であり、競技者ではありませんでした。
誤解されるかもしれませんが、2位のケビン・チェンも、技巧の凄さばかり語られていますが、実は技巧によって隠されてしまっている彼自身の音楽を、ちゃんと審査員は読み取ってくれていたのだと思います。
むしろ彼はファイナルで少し守りに入ってしまったように感じられたのが残念でした。本来持っている端正な音楽感がとても素敵なんですが。
結局、どんな分野でも大事なのは「説得力」なんだと思います。
たとえ完璧じゃなくても、自分の言葉で語れる人が強いんだな、と今回改めて。

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