お盆を利用して大船渡に帰省してみて大きなため息をつく

Diary

すっかり間が開いてしまいましたけれど、中の人は元気でやっております。はい。夏休みをいただいて、実家の大船渡にも顔を出してきました。身内は皆元気でやっておりまして、まぁ甥や姪がまさかの吹奏楽部に入ってて「おいお前後輩になってるのかよ」的な驚きもありつつ。

大船渡の現状を見てきた(写真とかは運転してたのでまったく撮っておりませんがご容赦くださいませ)ので、思いつくままに書きなぐる感じで。自分メモ的な。

せっかくの帰省だったので、現在の大船渡の状況も見てみようかな、と妻と車で軽く市内を走りまして。

商業施設「キャッセン大船渡」に顔を出してみました。
陸前高田にも「アバッセたかた」という商業施設が出来たとのことで、震災で商店街が流れてしまったことからも、市の中核を為す商業施設ということで作られたのでしょう。

中核店舗は書店で、雑貨も置いてあり、ディスプレイ含めて中規模ながらも雰囲気良かったです。妻も「このくらいの規模の書店が近くにあったら嬉しいかな」という感じだったので。
(盛岡も書店は駅やショッピングモールの中、郊外の大きめの施設くらいしかないので場所によっては割りと不便)

隣にはドトールが出来ておりまして。妻とコーヒーでも飲もうか、ということで行ってみたら大行列(苦笑)。

さすがにドトールのコーヒー飲むのに行列並ぶつもりはなかったので、書店や施設内をぶらぶらと見て回ります。

そのうちに行列がいなくなっていた(持ち帰り商品の出来上がりを待つ人が4グループくらいいた)ので、席も空いてたし店内でコーヒーでも飲もう、とレジに行ったら「すみません、出来上がり商品をお待ちの方を先に対応しますので、だいたい30分くらいお待ちいただく事になります」と言われて驚いたとか。ドトールで30分待ちってちょっと凄いだろw

まぁまだ開店して間もないので仕方ないよね、ということで近くのローソンでコーヒー買って飲みながらドライブに行ったとか。
(実家に帰って母に話したら「なんかスタッフいっぱいいるのに中でバタバタして注文さばくのに時間かかるのよ!」とか。まぁこういうのは慣れもありますしね)

以前から見ようと思って見てなかった赤崎〜綾里までの道のりを、車で走ってみまして。

震災から6年以上経っている今でも、爪痕はクッキリ。というか堤防もまだ中途半端にしか作られていなくて、いろんな事がまだまだなんだなぁ、と改めて思わされるとか。
お盆期間中だったから工事はあそこで止まってるんだよねそうだよね???
(放置じゃないよね???)

実家近くの小学校校庭にあった仮設住宅は無くなっていたけれど、赤崎にはまだ仮設住宅が立ち並んでいて。
それを見ると、やっぱりついつい大きなため息をはいてしまうとか。
まだまだなんだよなぁ。

その後、大船渡市内に戻って下船渡のあたりを少し走ってみたものの、すっかり道路も変わっていて、昔の思い出(幼少期は下船渡に一時住んでいた)なんかこれっぽっちも残っていなくて。

電車は三陸鉄道と開発鉄道(まぁこれは客車は無い)しか走っていないけれど、JR大船渡線の代わりとして「BRT」が走っています。
線路は無くなったけれどBRT用の道路が整備されていて、路線バスと合わせて交通網としては比較的整備はされてきたかな、というところ。
まぁもともと市内に住んでる人は電車よりも自家用車や路線バス、タクシーを使う事がおおかったからなぁ。
それでもこうした交通インフラは観光客を呼び込むには必要なものなので。

国道45号線に乗って立根まで行ってみたけれど、今度はそっちの方にたくさんの住宅や商業施設が出来ていて、これまた様相が変わっていて驚くとか。

大船渡や陸前高田、釜石といったあたりは東北縦貫道(高速道路構想だったんだけれどなんか中途半端な道路として整備されてこのままになっちゃうんじゃないか感はありつつ)のおかげで行き来しやすくはなって、それまで使用されていた道路の辺りはむしろ家を失った人たちが山の方に移動してきていたという印象。

今回は末崎(碁石海岸とか)や越喜来の方には行けなかったのだけれど、見に行けばまた違った印象があったのかもしれないなぁ、とか思いつつ。

東京から盛岡に戻ると地方ニュースはまだまだ震災関連のものだし、こうして沿岸部に行ってみると、まだ身近に「震災」という概念は残るしこれからも残り続ける感覚。

離れているとついつい希釈してしまいそうになるこの思いと直面して、運転する車内でそれはそれは大きなため息を夫婦でついてしまったとか。

よりそい続ける、ということの難しさ(物心ともに)を噛み締めつつ、合わせてかもめのたまごも噛み締めてみるのでした。

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