これまでの連載
前回までは、「アメリカの若返り=偶然の“点”」として見てきました。
では、ヨーロッパではなぜ、若い首席奏者やコンマスが制度として循環していくのか?
今回は、ウィーン、ベルリン、ロンドン、そしてフィンランド──
「若手が自然に育ち、椅子を譲られる」構造を見ていきます。
ドイツ・オーストリア──「定年制」という優れた回転装置
大陸ヨーロッパの多くでは、オーケストラ団員が公務員的な雇用に近い扱いで、
定年(多くは65歳前後)が明確に定められています。
「誰かが退く時期」が制度的に決まっている。
つまり、ポストが定期的に空く。
結果として、「いつか空く」ではなく「いつ空くかが読める」世界が生まれます。
だからこそ、後継者を計画的に育てて引き継ぐことができるのです。
| 奏者名 | 楽器 | オーケストラ | 就任年齢 | 就任年 | メモ |
|---|---|---|---|---|---|
| ギュンター・ピヒラー | ヴァイオリン | ウィーン・フィル | 21歳 | 1960年 | 18歳でウィーン響のコンマス。後のアルバン・ベルク四重奏団創設者。 |
| ライナー・キュッヒル | ヴァイオリン | ウィーン・フィル | 20歳 | 1971年 | 約40年にわたり同団を率いた伝説的コンマス。 |
| ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン | ヴァイオリン | ロイヤル・コンセルトヘボウ管 | 19歳 | 1979年 | 史上最年少コンマス。後に指揮者として世界的成功を収める。 |
これらはいずれも、若さが驚きではなく「自然な継承の一形態」として受け入れられていることを示す好例です。
年齢の若さではなく、「引き継ぐ時期が来た」ことの当然の結果としての若手登用──
それが、ヨーロッパの“面としての世代交代”の特徴なのです。
ベルリン・フィルのモデル:教育と世代交代をつなぐ「カラヤン・アカデミー」
若手登用を支えるもう一つの柱が、教育機関とオーケストラの接続です。
ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミー(1972年創設)は、
オーケストラが自前で次世代を育てる“インターンシップ型”の育成制度。
在学中から実演の現場に入り、プロとして必要なアンサンブル感覚と文化を学びます。
修了生の多くはそのまま欧州主要オケに進むという、教育と職業の連続性を備えています。
| 奏者名 | 楽器 | オーケストラ | 就任年齢 | 就任年 | メモ |
|---|---|---|---|---|---|
| アンドレアス・オッテンザマー | クラリネット | ベルリン・フィル | 23歳 | 2011年 | カラヤン・アカデミー出身。父・兄も著名クラリネット奏者。 |
| ユン・ゼン(Zeng Yun) | ホルン | ベルリン・フィル | 25歳 | 2024年 | チャイコフスキー国際コンクール優勝者。ベルリン・シュターツカペレからの移籍で正式就任。 |
| シュテファン・ドール | ホルン | ベルリン・フィル | 28歳 | 1993年 | ドイツ放送響を経て就任。長期にわたり首席を務める。 |
ベルリン・フィルは「外から探す」のではなく、「中で育てる」。
その循環構造こそ、“面の若返り”を支える最も洗練された形です。
ロンドン・モデル──音楽院とフリーランス文化のハイブリッド
ロンドンでは、音楽院とプロ現場の往来が極めて密接です。
ロイヤル・アカデミーやロイヤル・カレッジでは、
学生時代からオーケストラの現場で演奏する機会が数多くあります。
そのため、卒業前に首席として起用されるケースも珍しくありません。
| 奏者名 | 楽器 | オーケストラ | 就任年齢 | 就任年 | メモ |
|---|---|---|---|---|---|
| ケイティ・ウーリー | ホルン | フィルハーモニア管弦楽団 | 22歳 | 2013年 | ロイヤル・アカデミー出身。女性首席として注目。 |
| アンネマリー・フェデーレ | ホルン | オーロラ管弦楽団 | 20歳 | 2022年 | BBCヤング・ミュージシャン金管部門優勝。アカデミー在学中の就任。 |
| ピーター・ムーア | トロンボーン | ロンドン交響楽団 | 18歳 | 2014年 | 国際オーケストラ史上最年少の金管首席。 |
アメリカが「門を突破する文化」なら、
イギリスは「門の中で育つ文化」。
“学生=すでにプロ”という価値観が、自然と登用年齢を引き下げています。
フィンランド──“若手黄金世代”を生んだ構造的成功
いま最も「若返り」が進んでいる国の一つがフィンランド。
国家レベルで整備された音楽教育システムと、
「若手にまず任せてみる」文化が融合しています。
| 奏者名 | 役職 | オーケストラ | 就任年齢 | 就任年 | メモ |
|---|---|---|---|---|---|
| クラウス・マケラ | 首席指揮者 | オスロ・フィル/パリ管 | 24歳 | 2020年 | 28歳でシカゴ響音楽監督に。欧州最年少のマエストロ。 |
| タルモ・ペルトコスキ | 指揮者 | ラトヴィア国立響ほか | 24歳 | 2023年 | フィンランド放送響などで登用。若手黄金世代の象徴。 |
| サントゥ=マティアス・ロウヴァリ | 指揮者 | フィルハーモニア管弦楽団 | 27歳 | 2017年 | 若手登用の波を牽引するフィンランド出身の指揮者。 |
「失敗してもいいから任せてみる」──
その信頼の文化が、若手リーダーを押し上げている。
演奏家・指揮者を問わず、責任と経験を若いうちに与える。
それがフィンランドを“若返りの実験場”にしています。
若さを「脅威」ではなく「資産」として受け入れる社会
ヨーロッパの強みは、若手を「脅威」と見なさず、
「若い奏者を入れること自体が組織の投資」だと認識している点にあります。
ベルリン・フィルもウィーン・フィルも、若い奏者が入って音が壊れない。
それは土台(合奏文化・譜面観・リハ慣行)が強固だからです。
伝統とは「変わらないこと」ではなく、
「変わっても壊れないこと」。
今日のまとめ
ヨーロッパでは若手登用がニュースになりにくい。
それは制度が機能し、文化が受容し、教育が接続しているから。
- 定年制がポストの回転を生む。
- アカデミー/音楽院が若手を準備させる。
- 職能文化が彼らを信頼して任せる。
若返りは“点”で起きるのではなく、“面”で回る。
これが、ヨーロッパ型クラシック界の構造的強さです。
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| 章 | タイトル | リンク |
|---|---|---|
| 第0章 | なぜいま「オーケストラの若返り」を考えるのか | 🔗 |
| 第1章 | 若返りは“点”で起きる──アメリカ主要オーケストラの終身雇用と若手登用のはざまで | 🔗 |
| 第2章 | 面で回す若さ──ヨーロッパ主要オーケストラに見る「制度としての世代交代」 | (この記事) |
| 第3章(予告) | 日本編:「中間の構造」──任期制と年功文化のはざまで | 近日公開予定 |
| 第4章(予告) | 若い首席が音を変えたオーケストラたち | 近日公開予定 |
| 第5章(予告) | 結論:「伝統はどこで更新されるのか」 | 近日公開予定 |

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