世の中はすっかりAI時代。まぁかくいう私自身、ChatGPTもClaudeもGrokも、もう全部触ってみました。ちなみにChatGptは課金もしてますハイ。
最近(仕事以外では)iPad Air(M2)をメインで使っている自分ですが、書き物をするときにもChatGPTを手放せない程度には、依存しております・・・。
幸い、私自身はまだAI疲れという状況にはなっていませんが、最近、海外メディアで “AI burnout(AI疲れ)” という言葉を見かけるようになりました。
最初は「AIに疲れるってどういうこと?」と思っていたんですが、もしかしたら自分もそうなるかも???
「便利すぎる」って、実はちょっと疲れる
AIって本来、仕事を楽にしてくれるはずの存在だったはずです。
でも最近は、AIの方が私より先にアイデアを出してくれるので、
「自分で考える時間」が減ってしまって、どこかモヤっとする。
そして、「AIに任せてもいいけど、なんか自分の言葉じゃないな…」という違和感も。
たぶん、これは“効率の副作用”みたいなものなんでしょう。
効率化が進みすぎると、思考の余白が削られていく。
それが、じわじわと“疲れ”になるんだと思います。
アナログ回帰の流れ
面白いことに、欧米ではいま「紙のノート」「万年筆」「アナログ手帳」が少しずつ売れているそうです。
The Guardianでも「AI疲れが、文具業界を静かに潤している」と報じていました。
デジタルに慣れすぎた頭をリセットするために、あえて“書く”という行為を取り戻す人たちが増えているんですね。
「AIに頼りすぎない」というバランス
AI疲れの本質って、AIが悪いわけじゃなくて、
“常に最適化されなきゃいけない”というプレッシャーにある気がします。
効率よく、早く、正確に──そんな呪文の中で、
「ちょっと無駄なこと」をする余裕がなくなってる。
でも、無駄なことって、意外とクリエイティブなんですよね。
手を動かしたり、言葉を選んだり、考え直したり。
そういうプロセスの中に、AIにはまだ真似できない“人間らしさ”がある気がします。
おわりに
AIを使うことが日常になった今こそ、
「使わない時間」をどう過ごすか、が新しいテーマになりつつあるのかもしれません。
そういえば生成AIの話題と並行して「ジャーナリング」が密かなブームになってるんですよね。
ノート1冊とペンがあれば出来る、脳内をクリアにする作業。
まぁ考えてみれば、AI漬けになってしまうとどうしても自分の脳を使っていない、というか、整理されていないような感覚になることがあります。
ジャーナリング、試してみようかなー。
そう考えると、「どういうペンを使おう?」とか「どういうノートを使おう?」っていう思いがちょっと出てくるなぁ、とか。
こういうアナログ的なものへの興味は、これから逆張りでいろいろ出てくるんだろうなぁ、とか。


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